馬は念仏がわからない。でも一生懸命自分の耳元で何かを語りかけてくれる人ごいることはわかる。だから馬に耳に念仏を唱えるのは無駄じゃない。
自分に向き合ってくれている人のために、あいつはまた言ってるから返事なんかしないで無視すればいい。そんなふうに思ってるうちは何もすごいことができないんだよ。面倒なことから逃げてるだけだ。
文句言われるならまだ発信した甲斐があるけど、何も反応ないなら一生懸命に勇気を持って発信した甲斐がないな。
人にどう思われるか?とかそんなどうでも良いことに拘ってるうちは何もすごいことはできない。枝葉なんでどうでも良い。できるかできないかだ。
どれくらい長く生きてきたかではなくて、どれくらい長く眼を見開いていたかだ。
ゆっくり時間をかけてコトコト煮込んだら、手間をかけなくてもおいしくなる。
どんなに来年より遅くても必ず雪は降る。
魂が抜けて、右斜め前の上空にそれが浮かんでおり、私の言動を見ている。 そいつはただの第三者なので、なに馬鹿なことやってるんだろう?とか恥ずかしい奴だな…と思って私を見ている。 そいつと時々入れ替わる。
始めるのは簡単。やめるのはもっと簡単。続けるのが一番難しい。
遠くを見ながら同時に近くを見る。 一歩一歩歩き続けながら同時にエンジンを組み立てる。 そんな感じの挑戦。
いろいろなものを失って最後にひとつだけ残ったもの。それは大切。それは愛おしい。 それはたまたま残ったのではなくて、あなたが必死に守り通したものだから。
出会いがあるから成長がある。 出かけなければ出会いもないから成長もない。
たまにはいい気になったり落ち込んだり、気分が上がったり落ちたりするのが人間だ。それは別に悪いことじゃない。良い時間も悪い時間も長くは続かない。長く続けるために短く止めるのだ。
目に見えないものは無いと同じ。たとえ目に見えたって成果がなけれはやっていないと同じ。
TakeTake族には絶対なりたくないし、だからと言ってGiveGive族にもなれないみたいだ。 人間っていうのは面倒くさいものだ。
髪の毛一本が落ちてその重さが加わったら振り子が大きく振れてしまうほどギリギリの状態で生きている。でもそれが生きてるっていうことだ。
お金も時間も湯水のように使って良いのならきっとできる。 限られたお金の中で、時間に追いかけられながらやり遂げるのが難しいのだ。
夏になると早く目が醒めて、冬になると遅くま目が醒めない。僕は太陽と共に生きている。
3回断られてからが勝負! そうわかっているはずなのになかなか2回目は行けない。 でも2回目行かないと3回目はない。3回目行かないと4回目はない。4回目が本当の勝負なのに。
世の中は等価交換。 人に何かをしてあげると、その分だけ人から何かが貰える。 人から何ももらえないのは、人に何もしてあげていないからだ。
何もしないでいると楽。 何かしていると楽しい。 楽 < 楽しい つまり「しい」が大切なんだな。
誰か手伝ってーと書いたら、私手伝いまーすと返事が来て何かが始まるような関係性が心地よい。無理にお願いして何かをやってもらうのではなくて、やってほしくて、やりたくて、一緒に楽しくやる。
応援されたくてやってるわけではないので、応援してもらえなくても全然構わない。 人にどう思われるかなんて全然考えない。 ただ発信は必要。社会と接点があることをやっているのだから。
何事も、続けるのは大変。止めるのは簡単。 長く続けられたらそれだけですごいことじゃないか!
ちゃんとした奴とだけ付き合ってもおもしろくない。 ダメな奴と付き合うのが楽しい。酷い目にも遭うけど一緒に凄いこともできる。
簡単なことはやりたくない。難しいことか、めちゃくちゃ超簡単なことがやりたい。
こんなのできない?って頼んだら24時間以内に作ってくれる人にしか仕事頼みたくない。まずは何でも実物を作って動かしてみなきゃ。
こんなのできない?って頼んだら24時間以内に作ってくれる人にしか仕事頼みたくない。まずは何でも実物を作って動かしてみなきゃ。
こんなのできない?って頼んだら24時間以内に作ってくれる人にしか仕事頼みたくない。まずは何でも実物を作って動かしてみなきゃ。
一声かければ仲間が集まる。 ダラダラやらないでやったら解散する。 そしてまた誰かが必要としたらまたちょっと違うメンバーで集まってやっちゃう。 その都度集結して、その都度解散する。 それが理想。