やるって100回決めても、やめるって一回決めたら全てはおしまいだ。
苦労が報われるのは徐々にではないらしい。 それまでずっと報われずにいても、ある段階を越えると一気に報われる時が来る。 だからそれまでは未来を信じ、ひとつひとつを大切にして、ただ前に進めば良いのだ。
嫌なことをしないで済むような人生を求めるもいいけど、それよりも好きなことをいつもできるような人生を求めたいものだ。
ボケっとしていても1日は終わるし、目が回るほど忙しくしていても1日は終わる。 どうせなら何かを作り上げ、これをやったという何かを残せるように時間を使いたい。
うまくいったら凄いことになる。そのようなことで苦労するならやりがいもある。 うまくいったとしても良い結果につながるかどうかわからない。そのようなことで苦労するのは不安だ。 でも信じてやるしかない。
人に嫌われてまでしなければいけないことなんかある?そんなふうに考える人は、自分がしなければいけないことが人様の反応で変わっちゃうっていうことね。そんな程度のことをしなければいけないことと呼ぶなよ。
ここまでは譲れるけどここからは譲れない。その線が自分と自分外との境目。 言葉を変えると、その線から内側のことを自分と呼ぶ。 だから、ここからは譲れない線を持っていない人は自分がちっぽけなのだ。
真冬の凜とした寒さが好き。 真冬の色のない世界が好き。 多少厳しいけど、その中で懸命に生きる心地良さが好き。
忙しいからできないということはほぼない。 忙しいからなかなかやる気になれないだけ。
1人でやったってなんでもできる。 でも大勢でやった時とスピードが違うんだよな。
世の中って上手くいくときは何やっても上手くいくし、上手く行かないときは何やっても上手く行かない。でもそれって運だけではなく、少しは自分なんだよな。
自分自身を適切にコントロールできる人間かどうかを見極める方法って、太りすぎてないかどうかだよな。(えっ?)
損得ってお金じゃなくて、俺はやってるとか俺は生きてるっていう実感だよな。
暑くもなく寒くもなく心地が良い場所に住むことができれば楽なのかもしれないけど、暑すぎたり寒すぎたり、台風が来たり雪に埋もれたり、そんな多少の困難がある土地だから愛着があるんだよね。
あと何年生きる?それまでに何をする? やれる時にやれるだけのことをする。そんな生き方をしていれば、小さい悔いはあっても大きな悔いはないはずだ。
1人だけで生きるなら言葉はいらない。他者と通じるために言葉はある。敢えて沈黙するのは、人と通じ合わないことを選んでいるからだ。本当の自分の気持ちや意見を伝えないことを選んでいる。つまらん奴だ。
生きていれば自分も傷つくし誰かを傷つける。 そんな自分を受け入れて、それを背負いながら生きていく。傷つけるし傷つくけど許して。いや、許してもらわなくてもいい。私はそんな自分を認めながら生きてゆく。
友が10失敗すれば私も一緒に1くらい失敗するし、友が10成功すれば私も一緒に1くらい成功する。そういうもんだろ、友人って。
いろいろなことが整理できたようで整理できていないような年末。絶対に大晦日と元旦の間に線を引かなければならない理由はない。 思い立ったらその日が大晦日だ。
どこかに線を引くのは、線より前のことを考えなくて良くするため。昔に囚われず新たに考える。
人間って一回酷い目に遭ったことには恐怖心があ 湧いてとことん避けようとするけど、将来に渡ってゆっくりダメージが続くようなこには危機感を覚えず許容しちゃうんだよな。
どうしてもこれだけは譲れないと思えることができたまだ若い頃と、その頃よりはまだまだ譲れるようになった今とどっちが幸せなんだろう? 今は不幸も少ないけど、きっと幸せも少ないんじゃないかと思うんだよね。
苦しんでも最後にできたら救われる。大切なのはできるまでやるということ。
サンタはいない。サンタになりたいと思っている心優しい人がたくさんいるだけ。
簡単にできることなどそうそうありゃしない。 苦労してそれを乗り越えて、ようやく簡単にできるようになるのだけど、ほとんどのことは初めてやることだから苦労の連続だ。
苦手なものと嫌いなものは違う。 苦手意識のために嫌いだと思い込んでいるものは本当は好きなのかもよ。
褒めるなんて誰でもしてくれる。 耳の痛い言葉を言われたなら、それが一番ありがたい。
立派だとか、高価だとか、それも価値があるけど、 どれだけ皆の心が篭っているか、どれだけ皆の汗が染み込んでいるか、それらに優る価値はない。
ああ、今年はこんなことをやったな!そう思えるような年の瀬なら上等だ!
良いものには良いと言えるが、良くないものに良くないと言うのは難しい。 他者の仕事を否定すると波風が立つし、良くない理由を説明するのは骨が折れるからだ。 だから返事がないときは、駄目だと思った方が良い。