2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧
時間がかかるものは悪いもので、 時間がかからないものは良いものだ。 私の寿命は限られているのだから。
良いものだからこそ高く売りたい人も、良いものだからこそ安く売りたい人も、どちらも自分の仕事にプライドがある人。 でも、プライドは何に使う? お金のために使う?誰かのために使う?
苦労して良いものを作り上げたとき、 こんなに苦労して作ったのだから、安売りなどせずに高く売りたいと考える人と、 こんなに苦労して作ったのだから、安く売って一人でも多くの人に使ってもらいたいと考える人がいる。
いいときばかりじゃない。 でも人は、記憶によって、幸せな時間を引き延ばすことができる。 いいことばかりじゃない。 でも人は、想像によって、幸せな出来事を思い描くことができる。 幸せは感じるもの。
ちょっとやったらすぐにできてしまうようなものは、あまりすごくない。 もう駄目だ、もう嫌だを、10回ずつくらい乗り超えて、ようやくできるくらいのものが、すごいもの。
誰かを好きになっても、他の人を好きな量は減らないけど、 誰かを好きになったら、他の人を嫌いな量は減る。
斜めから射す冬の太陽は力弱いが、真上から射す夏の太陽は力強い。 本当に誰かを応援しようと思うならば、横からそっと見守るのではなく、真上からかんかんと照らしつけなければならない。
世の中にはできないことがたくさんある。 でもそれらの多くは、死にもの狂いでやればきっとできることでもある。 だけど、死にもの狂いになることはなかなかできないので、やはりできないことなのである。
狂わしいほど思うことでなく、思いをぶつけ合うことでもなく、心を触れ合わせることでさえなく、そっとあなたを思い感じること。
自分が何者なのか、ときどきわからなくなる。 そういうときは友を見る。そうすれば自分を思い出す。
もし物体が消滅しても、誰かの心の中にそれが残っていれば、それはまだ存在している。 存在しているかしていないかは、元々人間の脳が決めているのだから。
小さな世界に住み続けていると、小さなことを、あたかも大きなことのように感じてしまう。 もしあなたの世界がもっと大きくても、それは大きいことなのだろうか?
とんがった人には、とんがった人だけが持っている共通点がある。
大切なことのほとんどは偶然に出会ったことだ。 だから閉じこもっていないで外に出かけよう。
人は、生きているだけで、他の誰かを傷つけることがある。 でもそんなのは当たり前だ。人は。他の命を食らって生きているのだから。
皆に注目されているときと、誰からも注目されていないときでは、行動が変わるんだよ。 それを認めたくない人はアインシュタインって呼んじゃうぞ。
待ち望んでいても、そうじゃなくても、もう少ししたら確実に春がやって来る。
冬も好き。夏も好き。春はもっと好き。秋はちょっと好き。
陽がかんかんに照って、雨がざあざあ降って、また陽がかんかんに照って、また雨がざあざあ降るから、硬い岩もいつかは崩れる。 変化は力だ。
みんなせっかく才能があるんだから、そんなことしてないで、もっとすごいことすればいいのにね。
まあ、ここは適当にやっておけばいいや。 そう何回思ったかであなたの仕事のクオリティは決まる。
南に住む人には春が早く来て、北に住む人には秋が早く来る。 冬の終わりには南が羨ましいけど、夏の終わりには北が羨ましがられている。 だから、我慢我慢。
もっと何でもわかっていれば、もっと何でも早くできるのに、 いろいろなことがわかっていないから、何かするには時間がかかる。 でも一度わかってしまえば、次からは早い。 そう信じて頑張るしかない。
近くを見ては気が焦り、遠くを見ては気が逸る。 そんなときには、ずっと近くを見つめて気を集中する。
鬼は一人で家に来ることはできない。 人の心に入りこんでやってくる。 そしてやがて他の人の心にも移ってしまう。 まるでインフルエンザのように。
世間の評価が高ければちょっとうれしい。 世間の評価が低ければちょっと悔しい。 でもちょっとだけだ。 世間のためではなく、あなたのために頑張っているのだから。
本当は捨て置けないことをうまく避けて捨て置くこと、それはしなやかさではない。 捨て置けないことは捨て置かず、でもそれを消化してなお穏やかな気持ちでいられること、それがしなやかさだ。
悲しいことがあってもさほど悲しまなくてすむよう感情を抑えて生きてゆけば、ひどく辛い思いをすることはないかもしれない。 でもそうすることで、うれしいことがあってもさほど喜べなくなってしまうのならば、私は悲しい思いをすることを選びたいと思う。