2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧
健康診断の前だけ節制して数字が良くても何の意味もないのと同じように、自分の能力を過大に見せて人に高く評価されても何の意味もない。
やらなきゃならないことがあるときは他のことは後回しになってしまうけど、全部終わってからやったのでは遅いから、1日の中に何回か他のことをやる時間を作る。気分転換にもなるしね。
悪い人がいない前提の社会は、明るくて安心で安い。 悪い人がいる前提の社会は、暗くて不安で高い。
すごく大変だけど短期間で終わるのと、大して大変じゃないけどしばらく続くのとどちらが好き?僕は絶対短期間。
考えに考え抜いたら、大きなことと小さなことがごっちゃになって、やれることでもやらないという結論になる。 大きなことを見逃さず、小さなことは無視する。そうでないと果敢な決断なんてできやしない。
野望がギラギラしている人は好ましいけど、欲望がギラギラしている人は嫌。
ストレスはない。自分ではそう思ってる。でも僕の歯は食いしばりすぎてボロボロになってるらしい。
いつもべたべたしている必要はないけど、何年かに1度くらい会って昨日まで一緒にいたような感じて自然におしゃべりする関係がうれしい。 心の底の方からじんわり暖かくなるんだ。
一人っきりになって、人恋しくて、ちょっと寂しい時に思い出す人が、きっとあたなの大切な人なんじゃないかな。
ワクワクがあって希望があったら何をやっても楽しくって仕方がない。 苦労はしてもその苦労さえ楽しい。
心配しなくても良いことにいちいち心配していたら、心配しなければならないことにもそれと同じくらいしか心配することができない。 大事なこととさほど大事じゃないことをきちっと分けなきゃ駄目なんだよ。
水は、どんなに汚れてもまた綺麗な水に戻ることができる。 人間のほとんどは水でできている。 だから私もあなたも、どんなに汚れてもまた綺麗な存在に戻ることができる。
評論家よりも評論される家の方が10,000倍もかっこいい!
欠けている部分を埋めようとして僕は奔走する。ようやくそこが埋まったと思ったら今度は違う部分が欠けていることに僕は気づく。そして到底収まりきれないほどの大きな大きな人を見つけて僕は恋をする。
言葉なんていうのは何にでも使えるように抽象化してあるのだから、誤解を生み出すのは宿命だ。誤解のおかげで機会が発生し、世界が広がってきたのだ。
健康な時には健康なことに気づかないし、幸せな時には幸せなことに気づかない。
どうせやるなら楽しい仕事をしよう。どうせやるなら楽しく仕事をしよう。
人がすごいことをしているのを見て、羨ましいとか、悔しいとか思う気持ちも少しはあった方がいいかな。でも、それで歯ぎしりしている暇があったら、その時間で何かやった方が良いな。
無責任には薦められないけど、何でもやればできるものだって!心配する時間があったらやった方がいい。その時間をもっと良いことに使おう。
友達か山か海。それさえあれば飢え死にはしない。
チャレンジしたら、成功することも失敗することもある。でもワクワクする人生。 チャレンジしなければ、成功することも失敗することもない。でもつまらない人生。
人として生まれ、言葉を学んで、他者に気持ちを伝えられるようになった。 そんな奇跡的な音と形を身に付けているのに、言いたいことも言わない・書きたいことも書かないなんて、言語を操る能力を軽んずている。
似たような染色体の組み合わせを持っている人のほとんどが、ふくらみとか穴とか見て興奮してしまうのはなぜなのか? そしてそれによって人を不幸にし、傷つけ、卑怯で愚かな罪を犯してしまうのはどうしてなのか?
なんだか嫌な感じがする。でもその理由はわからない。そういうことが良くある。 情報を得るのは一瞬だが、脳がそれを認識するのに時間がかかるからだ。 認識の前に反射する。その訓練をしなければならない。
人がやったことを自慢したって駄目。それは人慢。自分がやったことだから自慢。
仕事を中心にしか物事を考えてない人たちは、仕事をしなくても良い日のことを休日と呼ぶのだ。 僕らは、10連休じゃなくて10連遊。
手を叩くだけが応援の方法ではない。 手を差し伸べよう。手を添えよう。
人間だけではダメ。自然に力を貸してもらって人間の力が引き出せるのだ。
北海道に綺麗な桜はない。でも待ち遠しかった春の訪れを喜ぶ気持ちは他のどこにも負けない。 だからしょぼい桜でもその開花を祝ってジンギスカン焼いてどんちゃん騒ぎをして楽しむのだ。
やるべきなのか諦めるべきなのか。 どちらが正解かなんて誰にもわからない。 やる前は誰もが不安だ。 でも、やらないと何も始まらない。 だから、迷ったらやる。 そう決めている。