2021-01-01から1年間の記事一覧
生きていれば自分も傷つくし誰かを傷つける。 そんな自分を受け入れて、それを背負いながら生きていく。傷つけるし傷つくけど許して。いや、許してもらわなくてもいい。私はそんな自分を認めながら生きてゆく。
友が10失敗すれば私も一緒に1くらい失敗するし、友が10成功すれば私も一緒に1くらい成功する。そういうもんだろ、友人って。
いろいろなことが整理できたようで整理できていないような年末。絶対に大晦日と元旦の間に線を引かなければならない理由はない。 思い立ったらその日が大晦日だ。
どこかに線を引くのは、線より前のことを考えなくて良くするため。昔に囚われず新たに考える。
人間って一回酷い目に遭ったことには恐怖心があ 湧いてとことん避けようとするけど、将来に渡ってゆっくりダメージが続くようなこには危機感を覚えず許容しちゃうんだよな。
どうしてもこれだけは譲れないと思えることができたまだ若い頃と、その頃よりはまだまだ譲れるようになった今とどっちが幸せなんだろう? 今は不幸も少ないけど、きっと幸せも少ないんじゃないかと思うんだよね。
苦しんでも最後にできたら救われる。大切なのはできるまでやるということ。
サンタはいない。サンタになりたいと思っている心優しい人がたくさんいるだけ。
簡単にできることなどそうそうありゃしない。 苦労してそれを乗り越えて、ようやく簡単にできるようになるのだけど、ほとんどのことは初めてやることだから苦労の連続だ。
苦手なものと嫌いなものは違う。 苦手意識のために嫌いだと思い込んでいるものは本当は好きなのかもよ。
褒めるなんて誰でもしてくれる。 耳の痛い言葉を言われたなら、それが一番ありがたい。
立派だとか、高価だとか、それも価値があるけど、 どれだけ皆の心が篭っているか、どれだけ皆の汗が染み込んでいるか、それらに優る価値はない。
ああ、今年はこんなことをやったな!そう思えるような年の瀬なら上等だ!
良いものには良いと言えるが、良くないものに良くないと言うのは難しい。 他者の仕事を否定すると波風が立つし、良くない理由を説明するのは骨が折れるからだ。 だから返事がないときは、駄目だと思った方が良い。
馬は念仏がわからない。でも一生懸命自分の耳元で何かを語りかけてくれる人ごいることはわかる。だから馬に耳に念仏を唱えるのは無駄じゃない。
自分に向き合ってくれている人のために、あいつはまた言ってるから返事なんかしないで無視すればいい。そんなふうに思ってるうちは何もすごいことができないんだよ。面倒なことから逃げてるだけだ。
文句言われるならまだ発信した甲斐があるけど、何も反応ないなら一生懸命に勇気を持って発信した甲斐がないな。
人にどう思われるか?とかそんなどうでも良いことに拘ってるうちは何もすごいことはできない。枝葉なんでどうでも良い。できるかできないかだ。
どれくらい長く生きてきたかではなくて、どれくらい長く眼を見開いていたかだ。
ゆっくり時間をかけてコトコト煮込んだら、手間をかけなくてもおいしくなる。
どんなに来年より遅くても必ず雪は降る。
魂が抜けて、右斜め前の上空にそれが浮かんでおり、私の言動を見ている。 そいつはただの第三者なので、なに馬鹿なことやってるんだろう?とか恥ずかしい奴だな…と思って私を見ている。 そいつと時々入れ替わる。
始めるのは簡単。やめるのはもっと簡単。続けるのが一番難しい。
遠くを見ながら同時に近くを見る。 一歩一歩歩き続けながら同時にエンジンを組み立てる。 そんな感じの挑戦。
いろいろなものを失って最後にひとつだけ残ったもの。それは大切。それは愛おしい。 それはたまたま残ったのではなくて、あなたが必死に守り通したものだから。
出会いがあるから成長がある。 出かけなければ出会いもないから成長もない。
たまにはいい気になったり落ち込んだり、気分が上がったり落ちたりするのが人間だ。それは別に悪いことじゃない。良い時間も悪い時間も長くは続かない。長く続けるために短く止めるのだ。
目に見えないものは無いと同じ。たとえ目に見えたって成果がなけれはやっていないと同じ。
TakeTake族には絶対なりたくないし、だからと言ってGiveGive族にもなれないみたいだ。 人間っていうのは面倒くさいものだ。
髪の毛一本が落ちてその重さが加わったら振り子が大きく振れてしまうほどギリギリの状態で生きている。でもそれが生きてるっていうことだ。