2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧
合ってるか間違ってるかなんてやってる時はわからない。それは歴史が決めることだ。しかも勝者側から見た歴史がね。
1人で生まれ、最初は両親しか知らなくて、成長するにつれて1人また1人と友達が増えて、老いるにつれて1人また1人と友達が減ってゆき、最後また1人に戻るのが人生というものだ。
全てを疑ってかかり、たとえ信じたとしてもこのような前提条件の下であると考えるのが科学的思考というものだ。
たとえ自己満足だったとしても何もやらないよりは良い。
ひとつ終わったらまた次、またひとつ終わったら次と、次々に行かなきゃね。溜めてしまったもういろいろなことを忘れて回らなくなっちゃう。
何もかも停滞して生きてゆくのに必要なことさえうまく回らない。 でもこんな時期だからこそ教育だ。 知恵を持つ人が世界を変えてゆくのだから。 そして一緒に学んだ人は仲間となって繋がることができるのだから。
非常事態は人の知性と本性を見せる。丸裸にされてしまう。取り繕っている余裕がないからだ。だから非常時に良いと思った人とずっと付き合えば良い。
どこかができる奴はどこかができない。完璧な人間なんていない。そう思って自分を慰めるしかない。
普段はケチ。でもこういう時にお金を使わないでいつ使うんだよ?
誰かに聞いてほしくても誰にも話せない。誰かに会いたくても誰にも会えない。まあ人生そんなものよ。
心配しすぎる人がいたら心配するなと言い、心配しなさすぎの人がいたら心配しろと言う。そうやってバイアスを取り除いてゆくしかない。 少しだけ心配することで、大きな心配をなくすことが肝心だ。
誤った根拠に基づく誤った不安でも、自分1人で心配してるなら別に問題ない。でも、あることないことを言いふらして、本来あるばずのない不安を煽る行為は感心できない。
運が良ければ死なないし、運が悪ければ死ぬだけさ。この世に生まれた日から死に去るその日まで、毎日それの繰り返しだ。
皆がピンチの時に自分はうまく行ってたらそれは人には言えないよな。でもうまく行ってる人も行ってない人も両方いなければ助け合うことはできないからね。
すっぴんの私を見せれるのが愛してるっていうことなのよ。顔を触ると感染しやすいし。
寛容な心とか人の過ちを許す気持ちを失ったら、結局自分や世界がひどいことになるんだよ。自分で自分の首を絞めているようなものだ。
不安な時は最初にたくさん心配して、考えうる最悪なことをおおよそ全部頭の中でシミュレーションして覚悟を決めておく。そうすれば後は頭の中で一度体験したことしか起きないので、いちいち動じなくなる。
逆風荒波にぶち当たるか否かは時の運。誰も予測などできない。 だからその時その時で乗り越えていくしかない。早く十分に動いたものが生き残る。
先を予想できない時は、最悪のことを考えて動く。それに対処するためのコストを先に払ったものが生き残る。大したコストではないのだから。
全員が駄目になったり、余裕がなくなってしまった後には、もう誰も助けられないし、誰も助けてはくれない。
あなたの周りに起きる全ての変化は不可逆だ。それはあなたが確実に歳を取っているから。今日の出来事はもう2度とやって来ない。良いことも悪いことも。
皆が楽観的な時にいち早く悲観的になって、皆が悲観的な時にいち早く楽観的になるのが俺。
誰かが解決してくれるのを待っている側ではなくて、自ら率先して解決する方の側にいたいものだ。結果的に失敗したとしても、それを目指して行動を起こした方の側に。
家族さえ守れれば、あとは何もいらないや。
死なないために必死になったら、人を出し抜いたり責めたりしなきゃならない。 死ぬときは死ぬんだと思うことができれば、自分が一番正しいと思うことができるんじゃないかな。
俺様が「もうダメ…」って言うまではまだ大丈夫だ!
物事を考えるときは、三重人格で考えた方が良い。 常に最悪の時ことを考える自分と、常に最良の時のことを考える自分と、実際はその間のどこに落ちるのかを冷静に予想する自分の3人。
もし私が、匂いと味を感じられなくなったら、もう生きていく気力がなくなるので、頑張れないかもしれない。これもウイルスの作戦か?
何気ない会話や家族団欒の食事。 それがこんなに幸せなことだったとは。 平時には気がつかない私の幸せ。
患者を治療したり感染を抑えたり薬を作ったり策を練っている人にお金を回そう。 収入減ったらからその分保証しろなんていう人は後回しでいい。