2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧
叱って育てるのが冬の北風で、褒めて育てるのが春の太陽ならば、夏の灼熱の太陽は誉め殺しだな。
やりたいことをしながら生きてゆく人生は幸せだ。 そして、やりたいことを見つけながら生きてゆく人生も同じくらい幸せだ。
桜の単位。蕾なら一個。花なら一輪。花びらなら一枚。宙を舞ったら一片。覆えば一面。
話せない時には待ってやるのが友達というものだ。 いつまでも話せなくても決して見捨てないのが友達というものだ。
人間やっていると、必ず良いことも悪いこともあり、必ず良い人にも悪い人にも出会う。 悪いことや悪い人にかき回されるのは人生のコスト。一定量は存在すると想定した上でプランを立てよう。
一雨ごとに春。 困難を乗り越えるごとに穏やかになる。
できるかでないかではなくて、やるかやらないかだとわかっているくせに、なぜやらないんだ?この怠け者め。
これまでずっと待ったんだから、あともう少し待とうよ。春の訪れを。
春よこい 南は蕾 北はなごり雪
コツコツと積み上げてはその一部を壊し、また積み上げては今度は違う部分を壊すことを繰り返しながら、少しずつ良くしてゆくのがスピーチ原稿だ。
楽しくて悲しい旅立ち。 嬉しくて寂しい巣立ち。
クオリティが急に上がる瞬間がある。模索していた様々なことが一気に結実する時だ。 この醍醐味を味わった瞬間にはいろいろな苦労が吹き飛んでしまう。
地球に住む人たちが未来を信じることができるのは、どんなに暗くても絶対に明けない夜はないからだ。
インフルエンザが流行し大雪で交通が遮断される真冬に受験しなければならない4月新学期制度は変えてほしいが、満開の桜の下で別れと出会いの儀式を催す風情もなかなか捨てがたい。
時々は過去をリセットして、利権もしがらみも全部捨てて、一から自分の力を試してみるのもいいじゃないか。
雪は解けて無くなるわけじゃない。水に変わってどこかを流れている。
凄いことであればあるほど長くは続けられない。でも、さして凄くないことでも、ずっと続ければそれは間違いなく凄いことになる。
いつ自分にも同じようなことが起きるかもしれない。そのように他人事を自分事として捉える。 それができないことを「想像力の欠如」とは呼ばないでほしい。 想像力という言葉は大雑把すぎる。敢えて言うなら「慮り力の欠如」だ。
やるかやらないかを決めるときに、いちいち個別に考えていてはその時の気分で判断がぶれる。 だから、ルールを決めておくべき。 私のルールは、「迷ったらやる」。
嫌なことから逃げ続けていたら、いつまでもトラウマは消えない。 今でなくてもいいから、いつかは、触れたくないことにも触れる勇気を持ちたい。
強い人は弱い人に押し付けすぎないようにしたい。 弱い人は強い人に頼りすぎないようにしたい。
自分と違う人を認めてその存在を受け入れる。 皆と違う自分を許してありのままの自分の力を発揮する。 コストはかかるけどいつかどこかに戻ってくる。 それが自分も皆も幸せになる一番の方法だ。
時間を戻すことはできないから、あの時の私たちには二度と戻ることができない。 だから今日の君を愛おしく思う。今日の私たちを記憶に刻んでゆこう。
北風と太陽だったら太陽が勝つに決まっている。猛吹雪と太陽で勝負しなきゃ。
楽しい日々の後には寂しい日々が待っている。寂しい日々の後には楽しい日々が待っている。
誰かが遠くで僕のことを思い出しているかもしれない。いや、誰も僕のことなど思い出さないかもしれない。 ネガテイブな気持ちで思い出されるのと、誰からも思い出されないのとどちらがマシだろうか?
興味がないといえば何にでも興味がないし、興味があるといえば何にでも興味がある。 だから、興味のあるなしで行動を決めるのではなくて、縁のあるなしで行動を決めるのだ。
目に見えない小さい人が一生懸命働いておいしいお酒を作ってる。
晩冬の吹雪、晩夏の残暑、リラ冷え、台風一過の真夏日、イタチの最後っ屁。 みっともないけど、名残惜しいから楽しもう。
応援するかどうかは慎重で厳しい判断の下に決めるけど、応援すると決めた人は手放しで応援する。