2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧
実力を持っているのは、努力した人だということ。 底力を持っているのは、やろうと思えば努力できる人だということ。 糞力を持っているのは、まさかのときでもあきらめずに努力する人だということ。
世界中のどこも素敵だけど、我が家ほど素敵な場所はない。
同じ距離を移動しても、東西なら時刻が変わり、南北なら季節が変わる。 東西の変化は自転が支配し、南北の変化は公転が支配する。 一所に留まっていてはそれがわからない。
毎日の太陽と時々の雨の恵みさえあれば、植物は大きく育つ。
力を持っているとは、実力か運のどちらかを持っているということ。 両方持っているのならば、もはや天命。
甘さは醗酵させることにより鋭きアルコールに変わり、鋭さは熟成させることによって丸くなる。
花は枯れるべき時期を間違うことがあっても、咲くべき時期を間違うことはない。
他者の気持ちは考えてもわかるものではない。自己の経験に照らし合わせて想像するしかない。 痛みはわからなくても、どれくらい痛いかはなんとなくわかる。 そんな人になれればいいなと思う。
木々は、暖かくなってから急に活動をはじめ芽吹き出したわけではない。 厳しい冬の間に芽を作り、細胞にじっくりとエネルギーを蓄えていたのだ。
リスクを取って苦労してきた人は、同じような境遇の人を応援する気持ちを持っている。 それは、身を持って体験したことで、その人の苦労がわかるから。そして、わかることで、その人と自分を重ねて見てしまうから。
億千万人の閉塞感が溜まりに溜まったとき、それを開放するためのブレイクスルーがきっと誕生するはず。 そうやって世の中は動いてきた。
北国の春の訪れは遅くて、首を長くして待ちわびるのだけど、 春がきたら、梅に桜に姫リンゴ、ツツジに水仙にチューリップが一斉に咲きほころび、やきもきしていたことなど忘れてしまうのだよ。
フェアな人ほど、「あの人は上から目線だから嫌だ」などとは言わないものだ。 気になるのは、上下を意識している証拠。
情熱的な赤も、優しい緑も好きだけど、やっぱり僕は、吸い込まれるような青が好き。
もしかしたら、しつこい男は嫌いって言ってたかもしれないけど、俺は一度好きになったらずっと好きなんだよ。悪かったな。
見られてる、噂されてる、嫌われてると感じたとしても、そのほとんどは勘違いだし、もし本当だとしても、知らなければ何もないのと同じこと。 自分のことなど誰も気にしてない、そう思っているのがよろしい。
心に受け入れたものの大きさだけ、心から優しさが出る。
季節の移ろいはいつもゆっくりだ。 寒い日と暑い日を繰り返しながら、徐々にどちらかに収斂していく。 そんな揺らぎこそが、変化を確実なものにしている。
目まぐるしく活動をしているときは、体と心がアンバランス。 体は疲れてぐったりしているが、心は充実してわくわくしている。 この状態にならないと、まだやったとは言えない。
堕ちるかどうかは、裏切るか裏切らないか、逃げるか逃げないかで決まる。 君は逃げることなく困難を乗り越え、多くを失うと同時に大きな力を得た。 マイナスからのスタートくらいはどうってことない。
駄目な政治がこれからも続くかもしれない。 流されるにしても逆らうにしても、まずは自分と家族を守らねばならない。 昔、中国人は三刃の術を身に付け、世界中に散らばった。 自らを守る。それが一番強い。
足を痛めたとき、うなるばかりで何もできなかった。 本を読むどころか、寝返りや眠ることさえ辛い。 私が最期を迎えるときにはこの状態が続くかもしれない。 だから今のうちにやれることはやっておこう。
一番好きなのはあなただけど、一番嫌いなのもあなた。 そう言ったけど本当は嘘よ。ちょっとだけ。そうね、春の雨と同じくらい嫌い。
おめでとう。パパが悲しい恋をしたのも、口下手を克服して人前でしゃべれるようになったのも、もう死んでしまいたいと思ったのも、将来やりたいことを見つけたのも、全部高校生のときだったよ。
世界の国々にはさまざまな細菌が住みついていて、触ったり食べることで、彼らは私の体内に取り込まれる。 時に彼らの洗礼を受けながら、私はインターナショナルになっていく。 辛いけどちょっと楽しい気分。
雪は解けても塵は解けない。 長い冬の間に溜まった塵は、少なくなった雪の表面を黒く染め、やがて雪がなくなると共に街は埃だらけになる。 汚れはいつの間にか溜まっているのだ。
喧騒で包まれ、混沌を受け入れ、誰も他人のことなど気にしないお国は居心地がいい。 たまに無性に寂しくなるのを我慢さえできれば。
ミステリアスな雨上がりの香港。近くからは美しく、遠くからはベールに包まれる。雨が空気を洗い、維多利亞港の夜景はいつになく綺麗だが、上空は深い霧に覆われ太平山頂からは何も見えない。
辣い物を食べたときは、最初は刺激しか感じられず、思わず顔をしかめてしまうが、食べ続けるうちにだんだん辣くなくなり、隠れたうまみがわかるようになってくる。
初めて親孝行したいと思ったのは、 予備校時代、志望校を決める三者面談のために札幌まで来た父と、終了後に2人でラーメンを食べ、じゃあと言って駅に向かう父の背中が随分小さくなったのを見たときなのです。