2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
将来ひどい目に遭うことがわかっていても、今やらなきゃならない。そんな時がある。
マスコミも世間も信じないけど、仲間は信じても良いんじゃないか?
太陽が弱い季節は、白い雪を降らせて、明るさを補っている。
1人にしてほしい時と、かまってほしい時と両方あるとかってわがままで贅沢なものだよな。
飛行機に乗れば山の高さまでは行けるが、山頂に立つためには自分の足で一歩一歩登らなければならない。
ある程度の歳になったらもうどんな自分になりたいかとか関係ない。 どんな自分でいられるかだけが大切だ。
近いうちにやらなければならないことがあるとそれが気になって他のことに手がつけられない。だから定期的にやらなければならないことを作ってしまうといつまで経っても他のことができない。
何年かぶりにスポーツをしても、身体が覚えている。一度できたことは何年経ってもまたできる。だからとにかく一度できるようになってしまえさえすれば良い。
旅行に行きたい。どこかに行きたい。楽しく過ごしたい。もう我慢できない。家に閉じこもっているのなら何のために生きているのかわからない。
負け犬とは戦って負けた犬ではなくて、戦いもせずに逃げた犬のことをいう。
失敗を重ねてそこから学ばないとできるようにはならない。 失敗しなければ駄目だし、失敗から学ぶ気持ちがなければ駄目。
自分がどうしても譲れないと思っていることの多くは実はすぐにでも譲れることばかりだ。 譲ってしまうと過去の自分の行動が正当化できなくなるからやりたくないだけのこと。いい加減卒業しろ。
雪が降ると除雪が大変。除雪は肉体労働、単純作業、時間を使う、疲れる。 でも本当に嫌かというと実はそうでもない。除雪も結構楽しいんだよな。俺ってマゾ?
苦しかった時のことを語れるようになるまで18年。生まれてから成人するまでと同じくらいの長い時間がかかる。
何かができる人は何かができない。だから助け合って生きてゆくのが一番良いのだ。
100人いたら、そのうちの1人にだけ伝われば上出来!普通は誰一人にも伝わらないのが普通だから。誰も思ってもいないことにこそ価値があるのだから。
オンラインの時代は、もう自分の肉体がどこにあるかは関係ない。自分と自分以外の境目ももうよくわからない。ここから先には他人には入ってきてほしくない、そう思う部分が境目、つまりATフィールドなのだ。
細かいことはどうでもいい。大きな部分が実現できさえすれば良いじゃないか。
意見が違ってもいいじゃないか。憎しみは何も救うことはできない。
成功は楽しいけど失敗だって楽しい。せっかく生きてるんだからいろいろやらなきゃ。
否定されようが肯定されようがそんなことどうでも良いと思っている奴の発言が一番信用できる。
冬至を過ぎたら陽は少しずつ長くなる。しばらくは寒いままだけど、もう間も無く暖かくなる。
トップというのは嫌なことも引き受けなきゃならないのだけど、長年やっているとそれにも慣れて段々大丈夫になってくる。嫌なことをする時は皆悲しい。そんなふうに皆で悲しみを分け合っているからできるのかもな。
将来を予想しても当たるか外れるかだけだ。 工夫しながら今やりたいことをやろう。悔いなく生きよう。
それぞれの人の生き方をどうのこうの言っても仕方がない。宗派が違うのと同じだから。相手の生き方を尊重して自分の生き方も尊重してもらうように努力するだけだ。
恐怖に追いかけられて生きたくはない。 他人が見たらかわいいと思うくらいの些細な心配だけして生きていきたい。 だから余計な心配はしないでおきたい。
意見を言うのはいいけど自分もやってから言ってほしい。やるだけやらせてやり終わってからその努力を全部無駄にすること言われるとどっと疲れる。まあ何も言わないよりは良いかもしれないけどね。
何をやるにしても文句言ったり反対したりする奴がいるんだよ。でもそのくらいのことで止めるくらいだったら最初からやらないほうがいい。やり遂げてギャフンと言わせてやれ!
自分が大変な時は遠慮なく助けてもらって、自分が余裕がある時は少しだけ幸せのお裾分けをする。空間的にも時間的にも凹凸を少しだけなだらかにする。それだけで随分良くなるよ。
自然の出来事に意味を見出そうとしても、そんなのはちっぽけな人間の些末な思い込みに過ぎない。意味なんて考えずにその時その時を精一杯自分らしく生き続けるだけだ。