2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
良い人と付き合えと言うけど、良い人が自分などと付き合ってくれるかどうかが問題だ。
怒っていてもニッコリと笑って話ができるようになったのは、仮面を被るのが上手くなったのではなくて、なんだかわからないけどこの人にもきっと事情があるのだなと受容と諦めの能力が身についた結果だろう。
ため息で心を曇らせながら、それでも鬱にもならずに必死にやり通してきたことは、自分だけが知ってればいい。私はずっと変わらずにここにいる。
大切なことなんてほんの少ししかない。 少しの大切なことの組み合わせで、自分の行動のほとんどは決められる。
耳の痛い意見は聞こえない。気に入らない人のことはは気にかけない。人に嫌われないよう当たり障りのないことしか言わない。 それを全部守ると君みたいな人ができあがる。
本当に優しい人は、いつも褒めて時々叱ってくれる人ではなくて、いつも叱って時々褒めてくれる人だ。
やりたいことがたくさんあるから時間が足りない。ずっとやり続ければ多分足りているんだけど、ダラダラする時間も必要なのでやはり足りない。
どんな傷でも完全に治るということはない。身体の奥に心の奥に少しは痕が残る。でもその傷痕がたくさん集まって私が作られているのだ。
いつ何が起きるかわからないから、やらなきゃならないことは早めにやっておく。 将来の夢とか悠長なことを言っている暇はない。今すぐやるのだ。
走り回っていないとできないこともあるし、じっと机に向かっていないとできないこともある。その時は頭の中が飛び回っているんだけどね。
人間、恩は忘れるけど恨みは忘れないし、悪行は忘れるけど善行は忘れない。 だから思い出は、人から悪いことをされたことと自分が良いことをしたことばかりになってしまいがちだ。
世の中に良い人と普通の人と悪い人がいるとしたら。 良い人は良い人と普通の人と付き合う。普通の人は良い人と悪い人と付き合う。悪い人は普通の人と悪い人と付き合う。 良い人と悪い人は付き合わない。
信用できる人間なのか、信用できない人間なのかは会えばすぐにわかる。 でも、その後仲良くなる人間なのか、仲良くならない人間なのかを短時間で見極めるのは難しい。
僕ができなかった分、世界の人々の幸せに貢献しておくれ。そしてそれをできてもできなくても、次の人たちを助けておくれ。
たまたま有名人が隣にいたからって、別に僕がすごい訳じゃない。恒星に照らされてようやく存在がわかる惑星みたいなものに過ぎない。
茨の道でもこれが最善と自分で決めた道。 たとえ傷だらけになっても一歩一歩進むしかない。倒れてしまわない限り少しずつ進めるだろう。
本当に大切なものは肉眼では見えない。でも心の眼ならきっと見ることができる。
人類の叡智は、親から子へ、師匠から弟子へとずっとずっと受け継がれてきたもの集まりだ。 だから、あの人が言っていたこともあの人に教えてもらったことも、僕が受け継いで次に伝えてゆく。
世間が騒がしいときでなく、もう大丈夫になった途端に逝っちゃうなんて最後まであなたらしいですね。あなたに認めてもらいたい一心でずっとやってきました。どんどんやればいいよ!またそう言ってもらいたかった。
泣いている写真ではなくて笑っている写真を、壊れた家や道路の写真ではなくてそれらを修理している写真を、空っぽの棚の写真ではなくて再び商品で溢れている棚の写真を、僕は発信していきたい。
大変なときにこそ、いつも以上に明るく気丈に振舞っている人が好き。そんな人にいつも側にいてもらいたい。
困った時はお互い様。自分のことしか考えないで買いだめする人、ガソリン入れる人。そうじゃなくて皆に分け与える人。その違いが非常時にはわかる。
人はいくら進化しても結局は弱い存在だ。寄り添って生きていくしかない。人が集まれば強くなる。
心配してしまうのは人間の本能だから仕方ないけど、必要以上に心配しても何もいいことがない。明るく楽しく楽観的に!
トイレの便座って冷たい。それに気がつく被災の朝。
子供が育つのは早い。大人が育つのは遅い。 大人は子供ほど勉強してないからだ。
やりたいことだけを我武者羅にやっていれば良い時と、他のいろいろなこともやりながらやりたいことをやらなきゃならない時がある。でも、やりたいことができるのだからそれで良い。
やらないのは簡単。始めるのは難しい。 やめるのは簡単。続けるのは難しい。 だから意識して、少しでも多く始める。少しでも長く続ける。
何かに挑戦するのはいつだって大変。2回目、3回目だからって決して楽にはならない。ただ1回目と違うのは、いつか必ずここを乗り切れるって信じながらやれるところ。
長い人生の内のどれほどを楽しい気持ちで過ごせるか?もしそれが良い人生の定義だとしたら、人生を決めるのは気持ちの持ちようということになる。いつも明るく楽しく笑っている人が幸せになれる。