2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧
恥ずべきところがないのなら、人からどう言われても気にしないことだ。 恥ずべきところがあるのなら、その部分だけを気にして、あとのことは気にしないことだ。
辛くてもやらなければいけない時は、自分は何かの役割を演じているだけだと思えばいい。 だから負けを認める時も、負けたふりをするだけと思えばいいのだ。
最初は一歩一歩でも、いつか大きなジャンプをする時が来る。それがいつなのかはわからないが、その時は必ず来る。
わからないことは、わかるまで考え続けなければわかるようにならない。 わかることとわからないことの違いはただそれだけ。
誰もが頷くような成果を出せばすべて解決。 それができるまではなんだかんだ言って寂しさを紛らわす。
世の中には同時に進められることと、ひとつが終わらなければ次に進めないことがある。 良い仕事をするためには、それらを見極め、あらゆる結果を想定しながらシナリオに筆を入れ続けることが必要。
どこに行ったとしても最初はアウェイ。 ひとつのアウェイをホームに変え、またひとつ変える。それを繰り返しながら仲間と居場所を増やしてゆくのだ。
歳を取れば取るほどできることが増えてゆく。でもできる時間は減ってゆく。 落ちぶれるのはまだ早い。一昨年より去年より今の自分はすごいことができるのだから、それを短時間でやればいい。
愛する人と離れるときは、別れの前日と別れの当日が一番悲しい。 それさえ過ぎればもう大丈夫。
幸せになるには、幸せでないことも経験しなければならない。 人を幸せにするには、やはり幸せでないことも経験しなければならない。
やればいいっていうもんじゃない。 楽しくやらなくっちゃ。
女心と牡蠣の殻。 どちらも硬いようで脆い。
夏に育った穀物は秋に実る。 熟れからでなければ食べられない。 焦らない、焦らない。
本当に自分がやらなきゃならない仕事に10の時間がかかるとしたら、それに付随する誰もができそうな仕事に100の時間がかかる。だから何かやる時はいつも110の時間がかかる。
単純にそうだと思い込んで疑わない鋭さを私は失ったのだな。 そして私と違うものを受け入れる鈍さを手に入れたのだな。
寂しがりは、すぐに寂しくなる。 恥ずかしがりは、いつも恥ずかしくなる。 強がりは、なかなか素直になれない。 寂しがりで恥ずかしがりで強がりは、人生とは寂しいことだと一人静かに悟ってる。
どんなに頑張っても、どんなに仲間がいても、上り坂の勾配は変わらないから、下から押す力を強くする。
楽しき日々にもいつか終わりが来る。 悲しき日々にもいつか終わりが来るのと同じように。
先輩の言うことは聞いたほうがいい。でも言った通りにはやらなくてもいい。何かをやる時の考え方を学んで、それを先取りできればいい。
雨が降ると、風景が濃くなる。 土は黒くなり、緑は深くなり、石畳は鮮やかさを増す。 雨もまた楽しい。
嫌々やると、なかなか出来るようにならないから、嫌な気持ちの時間が長く続く。
諦めたら、決して勝つことはない。 諦めなければ、必ず勝つ可能性が残る。
意志でコントロールできるのだとしたら、それは愛でなくて打算。
こんなひどいことがあったから私は怒っていると、怒ったことに意味付けしているのは、本当はそれを恥ずかしいことだと思っているからだ。
ここで友と過ごしながら、ここに来れなかった友のことを思う。たとえ来れなくても、心はすぐ側にある。
愛情とは、もしかしたら無駄になるかもしれないことにかける手間と時間のことだ。そしてたとえ無駄になったとしても満たされる心のことだ。
自己満足とか言われるけど、他人を満足させてどうするんだ? 他人は助けるもので、自分は満足させるもの。
愛情を込めれば、何でも上手く行く。 あと足りないのは練習だけ。
人を救うことは、巡り巡って自分を救うことだって誰かが言ってたけど、 巡り巡らなくたって、 人を救おうとするだけで、すぐに自分が救われしまうのだと、やっと気付いた今日、これ吉日。
くよくよするのは悪いことではない。立ち直るためにはむしろ良いことだ。 大きくくよくよして、その代わりに短時間で立ち直るが良い。 平気だからと強がって、そのくせずっと小さくくよくよし続けているのが一番良くない。