2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧
水は高いところから低いところに流れるのだと決めつけて、目の前の川を見つめているだけでは、なぜ川の水がいつまでも枯れないのか決してわからない。
人のためにやっているのにそれをおくびにも出さず、自分のためにやってもらっているかのように振る舞う人、素敵。
やられたからってコテンパンにやり返すのは大人気ない。 最低限必要な分だけやり返して、あとは負けたふりをしておくのが、格好いい大人というものだ。
若くして全力を尽くすのは自己のため。 老いて微力を尽くすのは他者のため。
今日一緒にご飯を食べれるそんな最高の幸せ。
杭は打たれなければその役割を果たせない。 出ても出なくても杭は打たれる。 自分が打たれることによって、支えているものを守ることこそが杭の役割だ。
穴があったら入りたいけど、穴に入ったとしてもちゃんと謝らなきゃだめよ、あなた。
うまいものが好きな人は、自分なりの拘りがある人なので、相手が大切にしているものを理解してあげることができる。 うまいものを作る人は、食べる人への愛情がある人なので、相手のために出来るだけのことをやってあげようとする。
のろまなペンギン、水中では生き生きと飛び回る。 あなたの水中も、きっとどこかにあるんだね。
信じることは、ビールの泡を作るようなことだ。 信じていることを足がかりにしてもう少し大きく信じ、それを足がかりにしてまたもう少し大きく信じるから。
黙ってやるのが一番カッコ良く、 やって語るは次にカッコ良く、 言わずやらずはカッコ悪く、 やらずに文句だけ言うのは最悪。
打たれ強い奴は、強者である代わりに、大切なものを犠牲にしている。 打たれ弱い奴は、弱者である代わりに、一番大切なものを守っている。
賞賛や誹謗で立ちすくむくらいなら、眼を閉じ、耳を塞ぎながら、まっすぐ前に僕は進む。
オヤジの言うことには耳を傾けろ。 でも決して言われた通りにはしなくていい。
人に嫌われたり、げんなりされたとき、 落ち込んでしまうのは、あなたが優しい人だからだ。 落ち込みから戻るのもまた、あなたが優しい人だからだ。
やりきった時は、たとえ失敗したとしても壮快で、 やりきれなかった時は、たとえ成功したとしても悔いが残る。
若い頃の苦労は買ってでもしろという言葉は、半分だけしか教訓になっていない。 苦労する時間も、楽しい時間も、両方とも買ってでも得なければいけない。
大切なことは、徐々にわかるのではない。 それは、天から降ってきたかのように突然わかる。
悔やんでいること、口惜しいことを、そのままにしてはいけない。 でも、リベンジしてもいけない。 それらは違う形で昇華させなければならない。
暑いとか寒いとか言っても、地球ならその差はせいぜい50℃。水星なら200℃だから。
山に登ることに意味はあるか? あると思えばそれはあり、ないと思えばそれはない。 だからあなたはいつでも正しい。 さあ自信を持って行け!
深く考えることなく頭から追い払うことも時には大切な能力なので、 あまり気付きとか意識高めとかばかり言ってないほうがいいよ。
世の趨勢やら自分の適性やら、そんなつまらんもので自分の生き方を決めてしまう奴は、つまらん生き方しかできん奴だ。
暑いと思うから暑いのだ。 暑いと思わなければ…鈍いのだ。
人事は決して尽くしきれない。でも、尽くそうともがいていれば天命が下る時がある。それをセレンディビティと言う。
どん底から這い上がったことで得られる一番大きなことは、またどん底に落ちたとしても這い上がれる、そうわかることである。
いつかはやり始めると、いつかはやり遂げるの、ふたつの気持ちを持ち続ければ、いつかはできる。
あなたが怒るのは、いつも誰かのためでしょう。 あなたが泣くのも、いつも誰かのためでしょう。 だからせめて、私とグラスを合わせるときには、あなたのために怒り、あなたのために泣いてくれるといいな。
数えきれぬほどの仲間を失いし我が人生。 されど悔やむことなかれ。 得ることを叶わねば、失うこともできぬのだから。
自己を正当化することは、 嫌らしいことでもあり、同時に素晴らしいことでもあり、 格好悪いことでもあり、同時に格好良いことでもある。