2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧
誰かを好きになるのは素敵なこと。 そして、誰かを好きな自分を好きと思えるのなら、それは更に素敵なこと。
君に何事もなきときには、僕は必要ない。 君が誰からも見捨てられたときだけ、僕は現れる。
変わるときは苦しいときで、変えるときは苦しむときだ。 長い苦しみの過程を経て、ようやく人は変わることができるのだ。
幻想に包まれるかのような美しい花に、ほっぺたが落ちるようなおいしいイタリアン。 でも一番うれしかったのは、あなたと一緒に過ごせたこと。
年老いた桜の方が圧倒的に美しい。 それは年老いるほど、自分のことよりも子孫を残すことの方を、ずっと大切にするからだ。
遠くから見れば綺麗で、近くから見ると美しく、 遠くから見ると凛として、近くから見ると優しさが滲み出る。
春が来たら、ずっと外にいて、春の香りと春の色を満喫したい。 でも、春が来たら、きっと眠くなって、お布団を満喫してしまうことでしょう。
苦しいからこそ、自分は命を生きていることがわかる。 辛いからこそ、自分は気持ちを持っていることがわかる。
地球からは星が見える。 星からは地球は見えない。 地球人は星を眺めて神話を作る。 僕は神話を信じ続けるから、ずっと星を眺め続ける。
心が苦しいことと、心が暖かいことと、心が締め付けられることと、心が優しいことは、ぜんぶおんなじだ。
たとえ何億光年離れていようと、夜空に小さな光が見える限り、あの星と僕は繋がっている。
感謝してる、それだけじゃ駄目で、 好きでいる、それでも駄目で、 何かしたい、そう思って何かしようとすれど、さほど役に立ちはしない。 無力な自分を思い知り、無力でもできることを探す。必死に探す。
何かをやり遂げたときには、もっとすごい何かができそうな気持ちになる。 そして実際にそれをやれば、本当にできてしまったりする。 だからきっと、できるできないは、気持ちの持ちようで決まるんじゃないかな。
人は誰しも、他者を傷つけることなく生きてはゆけない。 できることなら、傷つくのは自分であってほしくない。 もっとできることなら、傷つくのはあなたであってほしくない。
子供の頃、ご飯粒を綺麗に食べないと、「お百姓さんが一生懸命に作ったお米なのに」と叱られたものだ。 でも今、それを思い出すのは、自分が懸命になって物作りをしているときだけだ。
いってらっしゃいの挨拶はまたいつか会うということ。 もう会わないときはありがとうと言う。
何年も前のことを、自分がやりたくてもできなかったことを、覚えておきたい。 今はできなくてもいつかはそれをやろうと思ったことを、忘れずにいたい。 そして、いつかそれをやりたい。
太陽が高くなると空も高くなる。
変化するのが怖い。 変わるのは嫌だ。 でも、いつまでも冬でいいのか?
冬は真っ白で美しい。 春は新緑で美しい。 でもその美しさは、その間の晩冬と初春にモノクロームの世界があるからだ。
振り返ったり、見たり、見せたり、聞いたり、聞かせたりしなくったって、僕は忘れない。
季節は繰り返すのに、人の老いは戻ることがない。 でも、先祖と子孫を通じて生きることを繰り返している。
どの子も一番かわいくて、どの子も一番愛している。
別れは、一瞬がずっと残るから、必ず駆けつけなければならない。 再会は、またいつでも会えるから、今日でなくてもいい。
嫉妬とは、すべからく自分が誰かより劣っていることを心の中で認めている結果、発生する感情である。
自分が一杯のときに、どれだけ人のためにしてあげられるかが、その人の大きさを表す。
他のことが全然できなくなってしまうのは悪い一生懸命。 他のことが遅くなってしまうくらいならば良い一生懸命。
生まれたとき、笑ったとき、「パパ」としゃべったとき、 スパゲッティをスケバッティと言ったとき、雷が恐くて手をつないで寝たとき、旅行先で帰りたくないと言って泣いたとき。 思い出は全部パパの宝物。
人は淋しい思いをしなければならない。 淋しい思いをした人だけが、人を淋しくなくすることができるし、 淋しい思いを乗り越えた人だけが、淋しくても生きてゆけるようになる。
たとえ運があっても、運があることを信じない限り、それは逃げてゆく。 たとえ運がなくても、運があると信じ続けていれば、それはいつか自分のものになる。